講義の概要

田中優子教授が『カムイ伝全集』を参考書に使う講義が、法政大学社会学部で毎週1回開講中。科目名は「比較文化論」で、社会学を修めるための基礎的な思考法を身につける目的で設置されている学科基礎科目のひとつだ。学生たちは、自身の方向性に合わせ、基礎学科科目から決められた単位数を選択して履修することになっており、現在「比較文化論」を受講しているのは、2年生から4年までの380人。
田中教授は、彼らに向い『カムイ伝全集』から抜粋した図像をスクリーンに映し出し、他の資料では伝えられない江戸時代を教える。その講義の内容は、『カムイ伝全集』を深読みするための示唆に満ちている。

プロフィール

プロフィール
法政大学社会学部教授。1952年横浜市生まれ。遊女、被差別民など、歴史の表舞台に登場しない民衆にも着目して江戸時代を立体的に研究。『江戸百夢』で芸術選奨文部科学大臣賞、サントリー学芸賞を受賞。明快な語り口と艶っぽい和服はテレビのコメンテーターとしても人気。
2003年より法政大学社会学部で「江戸ゼミ」を主宰。今年4月より、同ゼミと学科基礎科目の授業で『カムイ伝全集』を参考書に使用中。
プロフィール
1962年東京生まれ。フリーライター。敬愛する田中優子教授が『カムイ伝全集』を授業に使うという話を聞きつけ、許可をいただき初回講義から聴講。奇しくも法政大学は母校で、20年ぶりのキャンパスライフを勝手に楽しんでいる。
カムイ伝全集
第24回

『カムイ伝』の役割

 ここまで23回にわたって、『カムイ伝全集』からさまざまなテーマを発見し、それについて視点を変えながら書いてきた。なかでももっとも重要で興味深いテーマは、この作品が穢多(えた)の視点、百姓の視点、武士の視点の3つを柱にしていることだった。
 そのシーンのひとつひとつに入ってゆくと、穢多の仕事である牛馬の処理と皮なめしの専門的な技能、罪人の処刑や芸能にかかわる非人の専門的な仕事が、じつに具体的に見えた。稲作だけではなく、綿花栽培や養蚕や農具の発明や家屋の造成や一揆の実行などから、百姓の高度な能力がうかがえた。さまざまな専門知識と技術に支えられた漁師の世界は、迫力と野心に満ちた世界だった。そして階級内格差の中で悩む武士のありようは、他の階級よりはるかに残酷で悲惨なものに思えた。
 これらが極めて具体的で詳細に描かれているため、江戸時代の人々の毎日の生き方に読者は直接入り込み、その中で思考できるようになる。歴史的事実かどうかは大事な問題だが、それよりもっと重要な『カムイ伝』の役割は、その「想像力の喚起」と「思考を動かす」ことだったのではないか。たとえば罪人引き回しの時の百姓と非人の対立では、視線の位置が交互に変わる。そのことにより、異なる立場で互いに何を見て何を感じているか、よく理解できるのである。漁のシーンでも耕作や伐採のシーンでも動物たちのいきざまでも、俯瞰する全体像と、クローズアップする顔の表情や、その働く手もと、その手が入り込む海、土、触れあい激突する身体の衝撃が、遠近交互に見える。小説では難しいこの視点の移動が、大きな働きをしている。
 つまり「相対化」ということか。個の内面からの視野と、集団や社会(世界)から個を観る視野とが、両方ここにはある。
 しかし実際の江戸時代社会、という点から見るとどうだったろう。どうしても欠けている、と思われる視点がひとつあった。それは商人の視点である。善し悪しは別として、市場の活性は江戸時代を、それまでの日本とはまったく異なる時代に育て上げたからである。『カムイ伝』では、商人はたいてい「悪者」で利益しか念頭になく、武士と一緒に百姓を追い詰める存在になっている。それは一面の事実である。しかも商人を悪者と考える価値観は、江戸時代の武士に特有な儒教的価値観でもあった。武士の観点から見ると時代を支えているのは自分たちと百姓であり、それ以外は重要なものとは思われなかったろう。
 しかし実際には、全国に点在する呉服問屋がなければ、綿花栽培も養蚕も存在しなかったのである。『カムイ伝』は1650年ごろの江戸時代を舞台にしている。その背後には、急速に発達する街道と航路開発、蝦夷から琉球に至るまで日本列島の周辺を動きまわる国内船、世界中の商品を積んでたびたびやってくるオランダ東会社の船、毎年江戸に来るオランダ人たち、中国の物資を運んで来る琉球使節や朝鮮使節、200を越える藩が送り出す参勤交替の旅人たち、彼らが街道と江戸に落とす現金によって活気を帯びたあらゆる種類の問屋が、新しい日本を作っているのだった。百姓・正助の能力はそういう背景があるからこそ、この作品で際だつのである。漁師が一攫千金を狙って力を存分に発揮するのも、市場が支えているからである。そこから得る肥料が多くの商品のもとになるのも、市場が介在するからである。武士がおのれの存在意義に疑問を感じるのも、そういう時代を迎えたからであった。もしここに企業経営を夢見る青年がひとり加わるとしたら、その青年はいかなる工夫をしいかなる矛盾に巻き込まれ、何に突き当たり、何を悩んだか、つい想像してしまう。そのような、描かれていないことへの想像を喚起するのも、『カムイ伝』の力であるのだが。

江戸時代イメージ

 もうひとつ注目したのは、戦後日本でずっと続いてきた江戸時代イメージと『カムイ伝』とのかかわりである。具体的に言えば、時代劇映画、時代劇テレビドラマ、時代小説、浪曲や講談、そして紙芝居が私たちの江戸時代を作ってきた。そこに、学校教科書が強調する「鎖国」と「身分制度」という偏狭な情報が加わり、江戸時代イメージを作りあげてきたのである。
 1956年には東映の時代劇がスターをとりそろえて、年間配収最高記録を作る。1960年には100本の東映時代劇が作られたという。1950年~60年代は、東映、大映、東宝、松竹の時代劇黄金時代であった。東映の時代劇は『殿様弥次喜多』『若さま侍捕物帖』『東海道のつむじ風』などというタイトルの、軽妙な楽しい時代劇である。一方、1961年には黒澤明の『用心棒』が東宝で制作公開される。荒廃、殺戮、迫力に満ちたリアルなアクション時代劇の始まりだった。大映では同じころ勝新太郎の『座頭市物語』と市川雷蔵の『忍びの者』が公開され、松竹では『切腹』が作られている。1963年にはテレビで『三匹の侍』が始まる。『カムイ伝』がこれらの映画やドラマにどれだけの影響を受けたか検証してはいないし、するつもりもないが、結びつきは明らかだ。
 一方時代小説は、昭和が始まると同時に大衆文学の中心に位置した。中里介山の『大菩薩峠』がこの流れを作った。『大菩薩峠』のなかにある流浪性とニヒリズムは、『カムイ外伝』に極めて似ている。その後の時代小説のテーマも『鞍馬天狗』や『赤穂浪士』といったもので、映画でも小説でも殺陣(たて)つまりチャンバラが必須となっていった。『カムイ外伝』はその系譜に近く、『カムイ伝』はそこからはみ出す内容をもっている。時代小説、時代劇映画の歴史の中で見たとき、『カムイ伝』と『カムイ外伝』の構成方法はじつに巧みで面白い。
 江戸時代の実際を知ろうとしている私から見ると、時代小説や時代劇はチャンバラが多すぎてリアリティのバランスを壊しており、実際から遠くへだたっている。スーパーマンもスパイダーマンも本当はニューヨークにいないのだ、ということは誰でも知っているが、江戸時代の武士や浪人は、決して毎日刀を振り回しているわけではない、むしろほとんど抜いたことがない、と理解してもらうのは一苦労だ。日光江戸村はまさにその典型で、江戸時代の実際の暮らしは無視され、時代劇が再現されている。水戸黄門は実在の人物だが旅をしてはいなかったし、印籠をかざしても誰も意味がわからなかったろう。大岡越前も実在の人物だが、その裁判物語のほとんどは中国の裁判物の焼き直しである。武士や浪人は本を開き筆を持つ人々であり、それほど剣の達人がいるわけはなく、一度も剣を使ったことのない者のほうが、圧倒的に多かったはずだ。経済の達人は必要だったが、剣の使い手など必要とされなかったのである。
 忍びの者についてはさらに創作が多い。幕府の公儀隠密は江戸時代にもいたが、これはつまり役人で、同心や御庭番のことである。そのほか、旅する本草学者や俳諧師たちはいくらでも隠密としての仕事を兼ねられたから、情報提供に金を受け取っていた可能性は高い。しかしその実態はむろん秘匿されており、誰にもわかっていない。
 甲賀や伊賀など忍びを仕事にしている集落はあったが、その役割は戦国時代にほぼ終わっていたと思われる。中世村落は自立性が高く、どんな集落でも軍事力をもっていた。江戸時代になるとそれが若者組というかたちで残る。中世のその軍事力を、傭兵のように外の勢力に貸す場合に、忍びの者になる。集落の者で間に合わなければ、外から子供をもらってきて下忍として訓練することもあったようだ。こうなると芸人のようなものである。しかしこれも、江戸時代のことではない。
 カムイは抜け忍として追われ続ける。実際に伊賀では、徹底的に抜け忍を探し出して処罰した。しかしそれは戦国時代までだった。江戸時代には伊賀者も同心として使われていただけで、今で言えばガードマンである。江戸時代の実態はあまりに冷静で合理的で法治的で秩序だっていて、貨幣経済がかかわる市場だけが活性化していた。これではアクションにならない。時代劇がアクション性を帯びれば帯びるほど実態からかけ離れるのは、仕方ないことだろう。江戸時代の現実と混同しないほうがいい。むしろ私は、時代劇や時代小説が、時代設定は戦国時代まで、ということになぜしなかったのか、そのことを不思議に思っている。なぜ活劇にふさわしくない江戸時代が使われるのか?これはゴジラが都市に出現してこそ面白いので、平原で暴れてもちっとも面白くない、ということと同じなのだろうか?江戸時代の秩序だった都市があり、そこで無秩序なチャンバラがおこなわれてこその時代劇、なのかも知れない。あるいは、生活上のインフラや生活文化の面で言えば、江戸時代と現代は地続きだが、戦国時代以前は隔絶している、ということなのかも知れない。江戸時代は身近で、それ以前はあまりにも遠くなるのだ。
 江戸時代は忍びの者もいない、活劇も起こりそうもない、と書いたがしかし、私自身、自分の研究分野で不思議な事柄に出会う。たとえば平賀源内の殺人事件と獄中での死、それに続く小田野直武の病死についてである。源内は勘定奉行の用人と秋田屋という米屋を殺傷して投獄され、獄中で死んだ。遺体は引き取れなかったという。殺人事件と前後して源内が江戸に連れてきた秋田藩士の小田野直武が急遽秋田に呼び戻され、3カ月後に角館で死んだ。まだ32歳だった。この召還も、殺人事件直前だった可能性が高い。また黄表紙を発明した現役の藩士・恋川春町は、松平定信の呼び出しに応じないまま病死した。いずれも藩士や浪人である。裏の世界がやはりあったのかも知れない、と思わせる事件が実在する。
 テレビドラマに『必殺仕掛人』が登場したときにも、「江戸時代らしい」と感じた。表向きの顔と裏の仕事が異なる、という点についてである。江戸時代では文芸や絵画など文化にたずさわる人は必ず複数の名前をもち、場によって自分を使い分けていた。それは決して隠すためではないが、そのように個人の重層性が受け容れられる社会ではあった。複数の名前をもってさまざまな連に出入りする町人や職人や武士を見ていると、連というものがただの趣味の会ではない、と思うようになった。たとえば絵暦を作る会というじつに他愛の無い会のなかに、旗本や藩士や浪人や職人や町人が入っているのである。狂歌連の中では、さまざまな藩の藩士や幕臣や町人がともにお笑いをやっているのである。ただごとではない。事柄の軽重はわからないが、連は何らかの連絡用の場、ないしは情報交換の場になっていたに違いない。中世や戦国時代では連歌の会や茶会がそのような性質をもっていたのだから、全国の武士が集まる江戸で、それが継承されていても不思議ではない。
 『カムイ外伝』には、雇い人の手引きによる強盗や船宿における情報収集などが出てきて、『鬼平犯科帳』を思わせる。『鬼平犯科帳』でも、さまざまな姿にやつした情報収集人が動いているのだ。彼らは隠密でも忍者でもないが、火付盗賊改めが個人的な探索集団をもっているのは、いかにもありそうなことである。江戸時代はもはや集落単位の忍者の時代でなかったことは確かだが、フリーの情報収集人が動いていたり刺客が存在することは、充分に考えられる。その実状は一般には知られていないだけで、今も同じであろう。

『カムイ伝』と『カムイ外伝』の構成

 『カムイ伝』は歴史的なテーマをたくさん抱え込んでいる作品で、『カムイ外伝』はアクション時代劇だ。『カムイ伝』は江戸時代日本を遠くから俯瞰して、その階級構造を眺められるようになっている。穢多非人、百姓、武士のそれぞれの生き方にそって、歴史がきざまれてゆく。『カムイ外伝』はそのなかの穢多のカムイにのみ視点を絞り込み、彼が穢多集落から逃れ、忍びの集団からも逃れ、言葉の本来の意味での自由(戦いながら日々獲得して行く自由)を生き抜いて行くさまを描いている。
 『カムイ伝』は個人が集団の視点で眺められ、社会の中に位置づけられるが、『カムイ外伝』では個人の内面にすべりこんでゆく。しかしそれは感情の独白ではない。カムイの自由の獲得は「人を殺し、死の中に生を得て生きる」生き方(外伝5巻p362)と語られる。あるいは「人は実現しうることを夢観ると言う。いずれ非人が自由に生き、女が羽ばたける世の中も来るのだろう……だが、人は今を生きねばならない……」(10巻p376)というナレーションの中に、カムイ自身の生き方がうかがえる、ということなのだ。生と死、今を生きる、という言葉の中に、我々も経験する個人としての意識があり、それが歴史の中に位置づけられることはない。
 『カムイ伝』は人間の存在が俯瞰され、時間は歴史として推移する。全体は長編小説の構成となる。『カムイ外伝』は個人のすごす日々を単位としているため、時間は一瞬ごとに捉えられ、短編小説の構成となる。視点はカムイにあり、そこから出会う人々は見えるが、百姓や武士や商人や政治の動きとしては見えない。正助の内面が語られたり、竜之進の独白があったり、という視点の移動はない。
 まさにこれが「物語」と「外伝」の違いである。これがカムイだけでなく、正助、竜之進、そのほか登場人物の何人かの立場から書かれたとき「列伝」となる。ただし本来「外伝」は「正史」に対応する言葉なので『カムイ伝』は『カムイ正史』とか『カムイ書』とか『カムイ史記』などという言い表わし方になる。さらに言えば、両方に「カムイ」が使われていることで、カムイの意味が二重性を帯びる。『カムイ伝』のカムイは山丈が叫ぶ意味でのカムイ――社会的秩序を破って躍り出てくる生命力の燃焼、生きることそのもの――であり、『カムイ外伝』のカムイは、その生命力の顕現としての、カムイ個人である。
 ところで、『カムイ伝』と『カムイ外伝』は制作上どのような関係があったのだろうか。1964年11月に『ガロ』で始まった『カムイ伝』と平行して、翌年の1965年5月から『週刊少年サンデー』で『カムイ外伝』が始まっている。これは1967年1月まで続いて中断した。一方『カムイ伝』は、1971年まで続いている。
 1982年2月に『ビッグコミック』で『カムイ外伝』が再開された。これは1987年3月まで続いて終わっている。一方『カムイ伝』は、その翌年の1988年に『ビッグコミック』で再開され、2000年4月で終了した。今刊行さている全集は、そのすべてを収録している。
 こうして見ると『カムイ伝』と『カムイ外伝』は、ずれながら平行して描かれている。また、開始時の掲載誌が異なる。当時の少年週刊誌はまだ本当の少年が読者であったことから(間もなく大人の読み物になる)、『カムイ外伝』はより易しい子供向き娯楽作品として作られたのだろう。その結果、この二つの作品は補完する関係になった。まず『カムイ伝』に特徴的な、穢多の視点、百姓の視点、武士の視点の3つの柱が『カムイ外伝』では削られた。穢多集落の詳細な描写も、山丈によって「カムイ」と名付けられる瞬間も描かれない。穢多、百姓、武士の3つの柱や、家康がじつは穢多の出身であったという筋書きは大枠として『カムイ伝』に語られるが、『カムイ外伝』では語られない。すでに述べたように、カムイのみ『カムイ外伝』に移動して抜け忍となり流浪し続ける。追い忍を逃れ、生き延びるために殺しながらの旅であるから、忍びの術や剣術を中心にしたアクションが大半をしめる。しかし同時に『カムイ外伝』には、『カムイ伝』に詳細に描かれた百姓による打ち壊し、山林伐採、大規模な漁の情景、下肥の汲み取り、そしてサンカの儀式の模様が断片的に挿入されている。いずれも物語の中心ではなく、カムイが流浪の先々で出会う事柄として描かれるのだ。
 この構造はまるで能のようである。能ではたとえば『平家物語』を大枠とすると、その中の忠度(ただのり)や敦盛(あつもり)という登場人物がそこから取り出され、死に至るまでの内面が能の『忠度』や『敦盛』において一人称で語られるのである。まさに外伝だ。しかも能の前半ではこの世の人物である木こりや草刈男になって現れ、後半では忠度や敦盛の亡霊の姿になって現れる。『源氏物語』を大枠にした能では、『葵上』や『夕顔』や『浮舟』として、そのひとりひとりの思いが個別に一人称で語られる。
 この構造は歌舞伎にも持ち越された。歌舞伎では大枠のストーリーのことを「世界」と呼んだ。世界の数は限られており、多くの観客にとってなじみの世界が採択される。その上で歌舞伎は、その公演ごとに新作が作られた。「世界」の一部が切り取られ、それが現代(当時)の人物や出来事と組み合わされて新たな作品になるのである。これも外伝と呼んでいいだろう。たとえば『仮名手本忠臣蔵』は、『太平記』の一部を採用してそこに当代の事件をすべりこませた外伝であり、『東海道四谷怪談』は、『仮名手本忠臣蔵』の忠臣を裏切った不忠臣の男を主人公にし、不忠の物語に仕上げた外伝であった。
 物語の増殖にはパターンがある。まず二つの増殖が考えられる。ひとつは、古代から持ち越され生き残った物語の枠(世界)が、まるで子供を産むようにその一部を外に出してそれが発展する場合である。子供は複数になる場合もある。形にしたがって伝、外伝、列伝、演義、演歌などと呼ばれる。『水滸伝』は『宋史』から生まれ、中国の『金瓶梅』『水滸後伝』はともに『水滸伝』から生まれ、日本の『椿説弓張月』は『水滸後伝』から生まれた。「伝」はそもそも「史」から生み出された子供で、そこから考えると『カムイ伝』という題名には、そのもととなる歴史書が想定されている、という暗示がある。『三国志通俗演義』は正史である『三国志』から生まれた。吉川英治の『三国志』しか読んだことのない人は、さらにそのダイジェスト創作版を読んだことになる。
 もうひとつの増殖のしかたは、その全体が読み替えられ、新たな時代の物語に衣更えする場合である。グリムの『シンデレラ』『白雪姫』は毒消しをされてペローの『シンデレラ』やディズニーの『白雪姫』になり、説経節の『信田妻』『山椒大夫』は、歌舞伎的改編をされた『蘆屋道満大内鑑』や近代的改編をされた森鴎外『山椒大夫』になった。これらの事例では明らかにつまらない作品に変わっているので、時代に迎合した改編が良い結果を生むとは限らない。しかしすでにある物語構造を使って新しい物語を創る方法は、残存している物語が人間の内奥に根ざしているだけに、大きな可能性をもっている。
 『カムイ伝』と『カムイ外伝』は、伝統的な物語増殖の方法にしたがって構成された。そのことと考え合わせながらもう一度『カムイ伝』『カムイ外伝』を読むと、さらにここから想像の翼が延びて行く。『カムイ伝』はまだまだ、その中から外伝が生まれ、列伝が生まれ、現代社会における書き換えが可能な物語である。私はこの連載で、実際の江戸時代との異同を書いてきたわけだが、それはドラマの中に間違いを見つける「お江戸でござる」をしたいわけではなかった。むしろ『カムイ伝』に刺激され、その一コマ一コマのなかから、江戸時代に対する想像の力をもらいたかったからであるし、おおいにもらうことができた。連載を終えてみると、私の中に根を下ろした『カムイ伝』から、何かが生まれて来る気配を感じてしまって困っている。『カムイ伝』は、新たな物語を人の心にうずかせる物語なのであった。